07米と環境、食文化農業の多面的機能

農業の多面的機能とは

農業の多面的機能について、わが国の場合、公的な定義は食料・農業・農村基本法(以下「新基本法」)に明示されています。一言でいえば、食料生産以外の機能の総称であり、以下に該当箇所を抜粋します。
「国土の保全、水源のかん養、自然環境の保全、良好な景観の形成、文化の伝承等農村で農業生産活動が行われることにより生ずる食料その他の農産物の供給の機能以外の多面にわたる機能(以下「多面的機能」という。)」(新基本法3条)。

(1)農業の多面的機能の概念

農業の多面的機能はわが国独自の概念ではなく、むしろ国際的な文脈、とくに先進国の農政にかかる文脈で発展してきました。
農業の多面的機能が公式の国際的かつハイレベルな国際文書で明示された実質的に最初の機会となったのが、OECD(経済開発協力機構)において1998年に開催されたOECD農業大臣会合のコミュニケでした。そこでは、「農業活動は、食料や繊維の供給という一時的な機能に加えて、景観の形成、土地保全、再生可能な自然資源の持続的な管理や生物多様性の保全などの環境便益の供給、さらには多くの農村地域の社会経済的な活性化への貢献を行っている」※1と表現しています。

(2)概念形成の背景

OECDの農業大臣会合コミュニケの背景には、その後に開始することが予定されていたWTO(世界貿易機関)における新たな貿易交渉(2000年から開始されることとなる「ドーハラウンド」)での農産物貿易をめぐる各国間の対立がありました。1995年に合意されたGATTウルグアイラウンド交渉においてはじめて農産物が貿易自由化交渉の対象になり、農産物の関税が引き下げられるとともに、農産物に関する国内補助金のルールが構築されました。この交渉の後半において、急激な農産物輸入の拡大に懸念をもつ国々から食料安全保障や環境保全などの「Non-Trade Concerns」(NTC:非貿易的関心事項)という概念が提唱され、NTCを考慮したうえでの農産物貿易ルールが必要との主張が展開されるようになりました。その延長線上に農業の多面的機能があります。
したがって、WTOでも多面的機能が次のとおり用語集に記載されています。「農業が食料や繊維の生産に加えて、環境保全、景観保持、地域雇用、食料安全保障などの多くの機能を有するという考え方」※2

農業の多面的機能にかかる原理的事項

(1)全加盟国一致の原則

1998年のOECD農業大臣会合コミュニケを受けて、1999年から2003年にかけてOECDでは多面的機能に関する概念分析と政策分析を行い、現在にいたるまで多面的機能に関する唯一のかつもっとも包括的な政策議論が展開されました※3
上記の背景を踏まえて、議論の最大の焦点は、多面的機能の存在を理由とした関税や国内補助金による農業保護政策が正当化されるか否かでした。当然のことながら農産物輸出国と輸入国の間にはこの点をめぐる強烈な政治的対立がありました。このような政治的対立およびOECDが加盟国の多数決で意思決定を行わず、重要事項については全加盟国一致を原則とすることを背景として、OECDでの多面的機能議論は広範かつ徹底的なものとなりました。
政治的な対立が激しかったからこそ、「理屈」を最優先とした議論で規律を保たなければならず、また、全加盟国一致を原則としているがゆえに、多数決で押し切るという方法も除外されていたからこそ、意味のある深い議論が可能となったわけです。

(2)多面的機能の原則的事項

この議論のなかで、いくつかの原則的な事項が確認されることとなり、このことは現在の農政や米政策を考えるうえでも重要な事項と考えます。

1)具体的内容は各国・地域に依拠

まず、多面的機能の具体的な内容に関するものです。前述のとおり、多面的機能の具体例は新基本法にもあるいは国際的な定義にも使用されているものの、食料や繊維の供給以外にもたらされるさまざまな機能という原理的な点では大きな差異はありません。そして、このような原理的な定義に立ち返るなら、「何が多面的機能なのか」という汎用的な定義問題は大きな意味がありません。
OECDの多面的機能議論では、各国の重視する多面的機能は大きく異なっていました。たとえば、水田の有する洪水防止機能や流域安定機能は当然のことながらわが国や韓国の中心的な関心事項の一つなのに対して、欧州諸国の最大の関心は放牧地などにおける生物多様性の保全や景観などでした。
このことが強く示す通り、その国や地域にとって何が重要な多面的機能かは、それぞれの国や地域における自然・経済・社会条件に大きく依存します。加えて、現在は多面的機能と認識されていない事項でも将来的にはそれに対する社会的需要が生じるかもしれません。
そのようなことを踏まえると、やや乱暴な表現をするなら、各国や地域が多面的機能だと考えるものが多面的機能なのです。したがって、農業の副次的機能を論ずるうえで多面的機能は他のいかなる類似概念よりも包括的です。

2)規範的観点を強調

つぎに、重要な原則が、そして多面的機能の具体的な内容問題よりもはるかに重要な原則が、多面的機能を「現象」としてとらえる立場と、「目的」としてとらえる立場の二つの立場があり、いずれの立場をとるかによって、多面的機能をめぐる議論の性格は大きく異なるということです。経済学の用語で表現するなら、「実証的(Positive)」か「規範的(Normative)」かの相違です。
現象としてとらえる場合、農業生産活動の途上で、あるいはその結果としてどのような機能がどの程度発現しているか、あるいはどの程度が社会的に需要されているかなどを客観的に分析することに焦点が当てられます。
それに対して、目的としてとらえる場合は、それらの機能をどの程度、どのようにして発揮させるかが主たる関心事になります。
現象に焦点が当たる場合、本質的には多面的機能議論は農業のみならず、すべての産業活動に関係してきます。たとえば、都市のオフィスビルの景観や、あるいはもっと極端な事例でいうと、工場地帯の夜間景観が脚光を浴びているのも、「多面的機能」の一部と解釈することは十分に可能です。
これに対して、目的に焦点が当たる場合、その目的をどのように政策的に実現するのかが焦点となり、他産業に比して政府による価格支持や直接的な支援の割合がきわめて大きい農業部門に固有の議論が必要となります。OECDの政策議論は最終的には規範的な観点が強調される内容となりました。新基本法での多面的機能の位置づけも規範的です。

3)負の影響も考慮

さらに、そのこととも関連して、もう一つの重要な原則が、農業の多面的機能の保全や強化のための政策を検討する際には、農業がもたらす環境などに対する負の影響も必ず考慮しなければならないということです。このことは、OECD諸国においては農業がもたらす負の影響をいかに緩和するかが、1990年初頭以来の中心的な課題であったことを考えると当然の原則です。
わが国においても、他のOECD諸国に大きく後れをとったものの、2004年の滋賀県による減農薬、減化学肥料(慣行の50%減)に対する環境支払い(環境改善を行う農家に対して、農家に発生する費用や所得減を財政により補填する制度)により負の影響緩和に対する政策が本格的に開始されています。
また、このような歴史的経緯に触れるまでもなく、多面的機能にかかる政策議論を行う上で、社会的にプラスの機能のみに着目することが理論的な適切性を欠くことについては、OECDの政策議論において一度として疑義を呈されることはありませんでした。それほどに自明の理論的な原則だったということです。

水田の多面的機能を保全・強化する政策

(1)水田農業の重要性

わが国において重要な多面的機能の多くは、水田農業から発揮されています。洪水防止機能、流域安定機能、土壌炭素貯留機能、地下水涵養かんよう機能、景観や生物多様性保全機能などです。OECDにおける政策議論での最重要となる政策メッセージは、それらの複合的な機能を総合的に考慮したときに、国内農業生産の維持のための政策が最適か否かを厳密に検証する必要があるということです。

(2)「結合の源」への支援

本稿ではその詳細には踏み込みませんが、要諦は、国内農業生産維持が正当化される場合においても、多面的機能が農業生産行為と結びついている「結合の源」に対しての直接的な支援が望ましいということになります。

1)直接支払い

水田にかかる多くの多面的機能が農地と水の利用を結合の源となっていることを考えると、米作付面積に応じて支払う直接支払いがもっとも効果的である可能性が高く、さらにその場合には、負の影響を適切に減じるための要件を設定する必要があります※4

2)環境支払い

負の外部性をより強力に減じたり、多面的機能の水準を現状よりも高めたりするためには環境支払いが効果的です。そして、環境支払いは、適切に制度設計を行えば複数の機能の改善に貢献できます。
たとえば、滋賀県が2007年から開始した「魚のゆりかご水田」は、わが国では稀有な生物に直接的にターゲットを当てた環境支払いです。水田の排水路に板を挿入し通水断面積を減じることで排水路の水位を上げることにより、琵琶湖の固有種であるニゴロブナの水田への遡上を誘導し、水田での安全な産卵と稚魚の成育を可能とするものです。
また、排水路水位の上昇は漏水を少なくし、結果として灌漑かんがい用水の節水にも貢献する可能性があります※5
しかしながら、このような多様な形態をもちうる環境支払いは、滋賀県を除くときわめて限定的です。上述の2004年からの滋賀県の環境支払い制度に類似した制度を国も07年度から開始しましたが、その環境支払い予算は他のOECD諸国に比してきわめて小さい水準にとどまっており、またその多くを滋賀県で使用しています※6。ただ、見方を変えるとそれだけ改善の余地を多く残しています。

(3)多面的機能を踏まえた米作り

わが国の米生産は、さまざまな形態の政策支持によって可能となっています。そして、そのような支持の背景には多面的機能の存在があります。わが国にとっての最重要の基幹作物である米の生産に加えて水田に関する多面的機能が適切に発揮されるような支持のあり方は、地球環境問題や食料安全保障をめぐる環境変化を考えると、不断に見直される必要があります。
さまざまな多面的機能を包括的に考え、それを米生産とのバランスでいかに最大化するかは、OECDなどの議論で理論的には鮮明になっています。それをいかに実装していくかが問われていると思います。

総合地球環境学研究所 特任教授 荘林幹太郎

参考文献

  1. OECD“Multifunctionality”(Summary in English)READ online(oecd-ilibrary.org)(2000)を筆者翻訳
  2. WTO Glossary(WTO | Glossary - multifunctionality)を筆者翻訳
  3. OECDでの政策議論を私が担当しました。本稿にかかる意見に関するものは私の個人的なもので、OECDを代表するものではありません。なお、その成果は、OECD“Multifunctionality of Agriculture: Towards an analytical framework”(2000)、OECD“Multifunctionality of Agriculture: The policy implications”(2003)にまとめられています。
  4. 荘林・木村「農業直接支払いの概念と政策設計」農林統計協会(2014)
  5. 荘林・木村・竹田「世界の農業環境政策」農林統計協会(2012)
  6. 荘林・佐々木「日本の農業環境政策」農林統計協会(2018)